日光街道 越谷宿(2012)

越谷宿の古い町並み
草加宿を過ぎて、日光方面に進んでいくと、蒲生大橋に辿り着く。蒲生大橋周辺には、蒲生一里塚と藤助河岸跡がある。河岸後の前には、藤助商店の看板のかかる昔風の民家がある。おそらく、藤助河岸で財を成した末裔が住んでいるのであろう。
日光街道は、日本橋を起点に、宿
が21宿設けられ、宇都宮まで奥州街道と重なっている。越谷宿は、この日光街道の3番目の宿にあたる。
蒲生大橋を渡ると草加市から越谷市となる。一里塚を右手に旧日光街道を進むと、蒲生茶屋通りとなる。昔、旅人が旅の疲れを癒すために一服した場所で、茶屋が多数
立ち並んでいたのだろう。茶屋通りを進むと、右手に清蔵院を過ぎたところで、国道49号に突き当たる。この国道を北進すると蒲生駅近辺に至る。ここから越谷宿が始まっていたらしい。
この国道を日光方面に進むと右手にさくら幼稚園とお寺が見えてくるが、両方の駐車場として使われて
いる奥に、「窮民救済の碑」がある。この碑には、名主が瓦曽根の村民に施金し、飢餓から救った事が記されているそうである。また、お寺は照蓮院と言われているが、ここの墓地には、武田勝頼の遺児である千徳丸の供養塔があるそうである。
この照蓮院の横で、国道と旧日光街道に分かれ、旧日光街道を進むと、越谷駅近くを通る。 この地域には、往時を偲ばせる町並みがまだ多少残っている。レトロな病院を過ぎ、
右手に当時の名残を留めた「塗師屋」が現れる。
このあたりが、最も当時の街並みが現存する場所なのかも知れない。
旧日光街道を北進すると、大沢橋に着く。元荒川と交差するのである。ここで、この大沢橋を渡ると本陣跡や脇本陣跡がある。大沢橋辺りが、越谷宿の中心だったのかも知れない。その先を進めば、粕壁(春日部)宿である。
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